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九州工業大学 白土竜一さん


理系→文系受験→一浪して再び理系へ
いとこがすべて理系。そのうちの一人が某メーカーで電車の設計をしていたことに惹かれて、高校では理系を選択。にもかかわらず物理と数学(微積)が苦手で地歴が得意だったのと、当時のTVドラマ「熱中時代(水谷豊主演)」にはまったのとで教師を志願。共通一次1年目に教育学部の社会科を受験しましたが失敗。人間ラクしてはいけないと思い直し、浪人して再び理系を目指しました。



「太陽電池」のワードに惹かれて電気へ
学科は就職を考慮して電気系を目指すことにしました。物理の中でも電気はさっぱり分からない分野だったのですが(苦笑)。共通一次の点数が思うように伸びなかったので、二次試験が数ⅡBと英語だった九工大の電気を受験することに。電気系には電気・電子・情報・制御の分野がありましたが、入試資料にあった「太陽電池」というキーワードに惹かれて電気に決めました。



ハンディを克服しようと勉強三昧の日々
数学と物理が苦手というハンディがあったので、大学1年次には日々の授業に追いつくのに必死でした。2年次にはずいぶん克服でき、ハードな実験レポートと宿題を週2日程度の徹夜でこなせるように。遊ぶ余裕がなかったことが幸いして、卒業時にはクラスで2番の成績になりました。おかげで太陽電池の研究室に入ることができ、大学院も推薦で進学。研究に没頭し、論文も2つ発表できました。



研究室の先生の勧めで一般企業に就職
研究室の先生からの紹介で、修士1年次の7月にガラスメーカーの会社に就職が決まりました。会社からは奨学金をいただき、学問と研究に専念することができました。研究室の先生は、学生の人物像を見極め、その人に合った会社を勧めてくれます。就活ではこの一社にしぼり、他社の見学もしていません。が、就職した会社は企業体質的にも私にとてもフィットしていました。



恩師の勧めで博士号取得→母校教員へ
配属された研究所は博士や米国の大卒者も居て、自己の特質を表現するには努力を要する所でした。しかし大学で学んだ知識と技術で乗り切り、多結晶薄膜の配向性制御技術を作り上げることができました。2年9カ月働いたところに、恩師から「大学に戻り博士号を取らないか」と誘われ再び母校へ。大学教員となり、教師生活も20年。苦労の連続でしたが、今のポジションに到達しました。



大学の業務のかたわら、今でも「太陽電池」の研究者としての仕事もしています。研究や従事している仕事については、日本や世界で2番目くらいを目指してがんばることにしています。




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